写真用ゼラチン(洋膠)

<写真用ゼラチンの歴史>

 第一次世界大戦以前は、写真用ゼラチンの国内生産は純度の問題がありイギリス、アメリカ、フランス、ドイツからの輸入に頼っていました。第一次世界大戦のあおりで、ヨーロッパからの輸入が途絶え、アメリカからの輸入に依存していました。この時期の品不足を補うために、日本国内でも大規模生産を開始します。

そんな中、第一次世界大戦が終結。ヨーロッパからの輸入が再開し、競争力のない国内工場は製造中止となりました。ところが当時、写真用の高級印刷紙(アート紙:ゼラチンが使用されています)の国内製造が始まっています。

大正になると日本映画が隆盛期を迎え、フィルムの需要が急激に伸び、国内製造が始まりました。しかし、この段階で使用されるゼラチンは、大部分が輸入です。輸入ゼラチンは、生産環境の違い(ヨーロッパやアメリカは、比較的乾燥しています)から、日本の高温多湿の風土によってもどりが生じたり、カビが出易くなる欠点がありました。

国産写真用ゼラチンの製造は、六桜社(現コニカミノルタ株式会社)と野洲写真科学工業所(現野洲化学工業株式会社)の共同研究によるもので、昭和9年度に1日2,000ポンド(約100kg)が作られているという報告があります。

今ではもっと生産量は多いですが、その当時としては、やっと欧米に追い付いたというところでしょう。

 

<写真用ゼラチンの発展と現在>

ゼラチンが写真用フィルムの乳剤に利用されるようになったのは、ゼラチンの特性によるものです。写真用フィルムの感度は、乳化剤として使用されるゼラチンの性能に依存します。

工業用ゼラチンの発展は、写真用ゼラチンの開発と表裏一体でした。国際標準化のための分析方法の確立は日本が主導して行い、パギイ (Photographic Gelatin, PAGI) 法として報告しています(パギイ法 写真用ゼラチン試験法 第10版(2006年度版))。この頃のゼラチンの製造技術は、日本が世界一だったんですね。その関係もあり、日本製のカメラやフィルムの世界的な認知度が高まったようです。

しかし残念なことに、デジタルカメラの開発により、記憶媒体の変化に伴い写真用ゼラチンの開発研究は下火になり、工業用ゼラチンの需要が急激に低下しているのが現状です。

そんな中、富士フィルムが未だにフィルムを製造している理由は、記憶媒体としての重要性や写真家の要望から「取りあえず残している」というものかもしれません。

デジタルカメラにはない芸術性が、フィルムにはあります。学生時代、白黒写真の現像は自分で行っていたので、なんとなく郷愁があります。現像する際は、タンクにフィルムを巻き取るのに暗室にこもりました。酢酸で現像液を停止するので、どこか酸っぱい思い出です。